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鮮魚コンサルタントが毎月更新する魚の知識と技術のホームページ
令和 7年 11月号 263



希有な深海漁場
深海魚を訪ねて伊豆半島へ
今年も年に一度の「お魚事情探訪旅行」の季節がやってきた。そして、その行き先としては伊豆半島とすることにした。訪問地を決定するのに特別なルールを作っているわけではなく、何となく過去の流れから思いつきで決めている。
伊豆半島は静岡県に位置しているが、過去に伊豆市の修善寺までは妻と一緒に静岡市内からレンタカーで行ったことがある。静岡市に住んでいるわけでもない筆者がなぜ静岡市を起点として修禅寺に出かけたかといえば、娘が静岡市でブラスという完全貸切型結婚式場を運営する会社の支店でブライダルプランナーとして働いていたからである。
その会社は、年に一度「ファミリーディナー」というイベントを催して、そこに社員の家族を招待し、他ではなかなか簡単には味わえないレベルの豪華な料理でもてなしてくれるのである。筆者はその催しに夫婦で度々参加していたので、その機会を利用して静岡市から車で行ける範囲へ、幾つかのプチ旅行をした中の一つが修禅寺だったのだ。
修禅寺まで行ったのだったら、その先の各地まで行けば良いのにと思われるかもしれないが、そのイベントが開かれる時期は、誰もが結婚式をおこなうには避けたがるお盆の期間であり、結婚式場運営会社としては売上を上げにくい、言わばアイドルタイムのようなタイミングで開催されるのだ。こういう時期だから他の観光地まで足を伸ばそうとすると、お盆の交通の混雑や宿泊先の選定などの点で色々とハードルが高く、プチの範囲に留めていたのである。
静岡市を起点として行ったことがある場所は、三保の松原、久能山東照宮、日本平夢テラス、登呂遺跡、静岡市美術館、静岡県美術館、駿府城、浅間神社、東海大学海の博物館、ヤマハ楽器博物館などであり、今回の旅ではこれらの観光スポットを避けることにした。
基本的に「お魚事情」という主テーマがあるので、魚というキーワードに従って旅程を組んだが、なかでも今回は筆者自身がこれまであまり縁がなかった「深海魚」のことを魚の知識に加える旅としたいと思った。なぜなら、伊豆半島の西側には駿河湾、東側には相模湾という、日本有数の二つの深海に挟まれた地域であり、伊豆半島近辺のの漁港では深海魚が日本のどこよりも多く水揚げされることで有名だからである。
1日目
福岡空港をフジドリームエアラインズ9時25分で飛び立ち、11時過ぎに富士山静岡空港に到着した。空港を11時25分にレンタカーで出発し、12時50分に浜松市のクックマート浜名湖西店へ到着した。
クックマート

愛知県豊橋市に本部を置くクックマートは、12店舗で2024年度売上高358億円のローカルスーパーだが、そのホームページには以下のようなことが記されている。以下のスクショ画面はホームページの一部であり、筆者が食品スーパーはこうあってほしいと考える形に近い運営形態を志向している会社のようで、以前から高い関心を持っていたので、この機会に是非とも視察をしてみたいと思ったのだ。


浜名湖西店に入り店内をぐるっと一通り見てから、先ずは腹ごしらえである。昼食に惣菜売場の商品を購入して食べてみるのも勉強の一つなので、以下の商品を購入しイートインコーナーで食べることにした。

静岡の味噌おでんはご当地ソウルフードとして耳にしていたけれど、なかなか食べる機会がなくズルズルと食べ損なってきていたので、やっとこれにありつけたという感じだった。見た目は色が黒くて辛そうだと思ったが、食べてみるとそうではなく味噌の旨みと甘みがからまり、なかなか良い味だと感じた。
また、自家製焼豚チャーハンは豚肉が少し焦げていて固いのがもう一つだと感じたけれど、チャーハンはパラパラに仕上げられていて、味も辛くなく御の字だと感じた。
浜名湖西店は1時半に出発し、その後クックマート雄踏店に1時50分には到着した。店内を20分ほど隈無く視察し、それからスズキ自動車の大きな工場の横にあるスズキ歴史館に立ち寄ったが、残念ながら休館日だったので、そのまま移動してクックマート可美店に3時に到着した。
可美店は10分ほどしか滞在しなかったが、3店舗目ともなると少しずつクックマートというスーパーがどういうものか、これまでの筆者の経験と照らし合わせながら見てみると、表面的なものでしかないけれど何となく理解できてきたからだった。自分の未熟な理解内容をここでコメントするのは避けるとして、魚売場に関しては「残念だな〜」と感じるものがあった。
それは、クックマート水産部門には「魚屋鮨」が存在しないからである。筆者の指導先では、既に水産部門内の魚屋鮨商品クラス売上構成比が30%を超えるのが珍しくなくなっている事実がある。全国にはそういう店が間違いなく少なくない数で存在しているにも拘わらず、クックマート水産部門は鮨商品を未だに冷凍鮨ダネ中心にならざるを得ない限界を超えられない惣菜部門に任せていて、新鮮な魚を活用した魚屋鮨には取り組んでいないのである。
残念という言葉が相応しいのか、それとも目の前にせっかく売上と利益を伸ばせる分野が存在しているのに「もったいないな〜」とでも表現すべきなのか分からないが、例えば筆者の指導先の一つは今年の9月、特別な行事や催事がない30日の営業日数で、魚屋鮨商品クラスだけで500万円の売上高を叩き出したのだ。
クックマートのように、12店舗で358億円を売り上げるということは1店舗で平均30億円ほど売っている計算が出来る繁盛店を数多く抱えているのだから、1店の水産部門で鮨商品を500万円ほど売り上げる可能性は十分あるのに、本当にもったいないとしか思えなかった。
浜松市楽器博物館
可美店を3時15分に出発し、3時40分に浜松市楽器博物館に到着した。ここはヤマハの楽器博物館とは別であり、どちらかと言えばアジア及び日本の楽器が数多く収集展示されている楽器博物館だった。

ちょうど10年前に浜松市のヤマハ楽器博物館に行ったのだが、その施設は現在イノベーションロードという名称に変更されているようで、しかも予約制の3部入替え制となっているらしい。その施設は90日前から予約が可能だということだが、気が向いた時にふらっと立ち寄るには敷居が高くなっていて、自分としては10年前に予約無しで訪問していて良かったと思った。
このイノベーションロードはさすがに楽器製造会社が運営しているだけに展示品が幅広く、その内容がとても充実している。浜松市楽器博物館はこの素晴らしい施設とは競合しない内容とすることにして、アジア及び日本の楽器を中心に展示しているのだと思われ、楽器に興味がある人は両方の施設を共に訪問し、その違いを楽しむのが良いと思われる。
居酒屋 かあちゃんの台所ふく
この施設は4時40分過ぎに出発し、この日の宿泊地焼津市にあるホテルシーラックパル焼津に向かった。このホテルは今年4月に改装したばかりで、そこからまだ半年しか経っていないピカピカの状態だった。このホテルはビジネスホテルとしての機能を部屋の中にこれでもかとばかり上手に詰め込んだ非常に先進的な施設であり、1泊目の選択ホテルとしては幸先良く上出来の選択だったと思った。
そしてこの日の夕食であるが、ネットで探しても自分の選別基準に合うような店が見つからなかったので、飛び込みで行ってみようと思っていた。ホテルを出て少し歩いてみてみると暖簾が出ていない店が幾つもあり、あまり選択の余地はないと判断し、小さな店構えの「ふく」という店が開いていたので入ってみた。
まだ6時という時間のせいか筆者が最初の客で、その後二人の男性連れが入店してきた8時半頃までは一人だった。店の外観からすると、もう十数年は営業しているのかと思ったところ、まだ開店して2年の居抜きの店であり、女将さんは元々はパン作りの講師ということで、料理好きが高じて居酒屋を始めたということだった。
ふくという店名は、17年間生存していた柴犬の名前であり、店外の大きな日除け暖簾には柴犬のイラストがあり、店内も至る所にふくの写真だけでなく、柴犬グッズなども多々あり、柴犬好きにはたまらない空間となるであろう雰囲気だった。ちなみに筆者も犬好きなので、15年間生存していた愛犬の犬種はシェルティーだったことを話しても、残念ながらその話題には乗ってきてもらえなかった。
魚料理についてはあまり期待しない方が良いと判断したので、昼食で食べたスーパークックマートの静岡おでんとこの店の手作りおでんとを食べ比べてみることにした。店名が「かあちゃんの台所ふく」だから、たぶん地元で昔から作られてきた本物の静岡おでんが食べられると判断し注文した。

女将さんの話によると、お汁は黒いけれど醤油は一切使っていなくて、出汁を継ぎ足しながら煮込んでいくとこのように黒くなるということだった。現地では「しぞーかおでん」と言うらしいが、味噌と出汁粉、青のりなどをトッピングして食べるのが「しぞーか流」だと教えてくれた。
約3時間近く色んな話で盛り上がり退屈することはなく、女将さんが静岡のことをたくさん教えてくれ、気持ちよく相手をしてくれたので、一人で寂しい思いをすることもなく、楽しい夕食時間を過ごすことが出来たのだった。
2日目
焼津漁港
焼津と言えば、昔からマグロカツオ遠洋漁業の基地がある所として有名であり、その焼津漁港とはどんなところなのかを知りたいと思っていた。焼津漁協ホームページには、焼津魚市場の漁業規模は以下のようであることが発表されている。

そして、焼津漁港を所属基地にしている漁船の数は以下の通りである。

焼津漁協ホームページの「焼津漁協のあゆみ」によると、以下のようにに記されている。
焼津漁業は徳川時代には相当の規模をもっていたようで、幕府より27隻のカツオ漁船に船鑑札が与えられ、世襲の船元を中心に血縁地縁による一船一家の協同的船組が組織されていた。 明治41年に初めて石油発動機付漁船が建造され、漁場も黒潮流域の彼方にまで広がり、漁船は年とともに大型化し、大正9年には漁船界初のディーゼル機関の据付、同13年には鋼船の建造、翌14年組合に民間初の漁業無線局が開設され、これに呼応して各船に無線設備が付けられるという画期的な技術革新もあった。 さらに昭和6年以降には鋼船の大型カツオ漁船の進水が相次いで漁業は大いに振るった。昭和14年頃には、大型漁船は85隻(30屯以上のカツオ船49隻)を数えるまでとなり、東はミッドウェイ島近海から西は南シナ海、南は赤道付近にと縦横に活躍し、焼津は全国一の遠洋漁業の根拠地として世界にその名が高まっていった。その航跡は太平洋からインド洋、大西洋とほとんど世界中の海域に及んでいる。(一部を割愛して編集) |
このような予備知識を元にして、7時過ぎに港の方へと向かった。遠洋漁業が中心の焼津港と沖合漁業が中心の小川港の間に新たに新港がつくられ、現在はこの3つを総じて焼津港と言ったり、旧港とか新港とも呼ばれているらしいが、漁港としての機能はほぼ新港に移転しているとのことである。
以下の画像は津波緊急時避難施設と名付けられている建物の上から撮った焼津港の冷凍マグロカツオの水揚げ施設である。

岸壁には船が横付けされていて、クレーンを使ってマグロらしき魚がコチコチで真っ白の状態で水揚げされていた。

その冷凍魚はそのままコンベアに乗って移動し、反対側に設置された冷凍コンテナの中に次々と落とし込まれていた。たぶんこれらの冷凍マグロの行き先は、超低温冷凍設備が整った冷凍倉庫へと直行することが予想された。

そして、以下の画像の場所では次のようなことがおこなわれていた。

これは冷凍倉庫から出てきたコンテナをフォークリフトが運び出してきて、平ボディトラックにコンテナの中の冷凍マグロをガラガラと流し込むように積み込んでいる様子である。

筆者はこの光景を見て、超低温で保管された魚の扱いというのは何とも乱暴なものだと思った。日頃新鮮な生魚を出来るだけ身割れなどを生じさせないよう、気をつかって扱っている身としては、魚を超低温にすると、このような扱いを受けることになることが分かり、魚売場とはまるで別世界のことのように感じられたのだった。
随分前から長い間、冷凍マグロではなく生マグロ、なかでも特に養殖生本マグロの取り扱いをコンサルタントとして魚売場に強く勧めてきた筆者は、超低温のマグロというのはある意味で「産業用資材」のようなものだと感じた。これらはたぶん食品産業分野の材料としては大きな価値があると推測されるが、これからの魚売場でもやはり冷凍マグロというのは存在価値を示していくのであろうか。
昔とは違い、世界各国が自国の漁業資源の所属を強く主張するようになっている現在、変化しつつある世界的な漁業環境の情勢を踏まえると、遠洋漁業という形態が今後も伸長し続けるのかどうか、また将来的に焼津漁港の位置づけはどう変化していくのか気になるものがあった。
深層水ミュージアム
焼津漁港には深層水ミュージアムという施設があり、筆者はそこが9時にオープンし、一部ではまだ朝の清掃をされている途中に館内に入らせてもらった。入場料無しということもあって、お邪魔するようで、ちょっと申し訳ない気持ちを抱えながら見学をさせてもらうことになった。

実のところ、筆者はこれまで「深層水?それって、何がどう役立つの・・・」というレベルの知識しか持ち合わせてなかった。ところが、今回ここを訪問することで、深層水の知識だけではなく深海のことについても理解が深まることになり、とても有意義な体験となったのだった。
静岡県のホームページには、海洋深層水について以下のように記されている。
| 海洋深層水とは |
海洋深層水とは、一般的には水深200〜300mよりも深いところにある海水のことを指す。太陽の光が届かないため植物プランクトンによる光合成がほとんど行われておらず、浅いところの海水とも混ざることがないので、表層水とは違う特性をもっている。 日本一深い駿河湾は最深部が2500mに達する。ここには起源の違う3種類の海洋深層水が存在しているが、静岡県は焼津市焼津新港内に取水施設を整備し、黒潮系の海洋深層水を取水している。 海洋深層水は気候変動や人の活動の影響をほとんど受けないため、常に一定の水質を保っていて、水深200〜300m以深の海水は、表層の海水にはない「高栄養性」「清浄性」「低温安定性」という3つの特徴を持っている。 しかし、海洋深層水の持つ、高栄養性、清浄性、低温安定性という資源は、物質的には低品位でエネルギー密度からみた場合もきわめて低いレベルのため、それを有効に利用するための技術を開発する必要がある。 海洋深層水は 餌となるプランクトンが少ないため魚類等の生物が少なく、それらの病気の原因となるような病原性微生物がほとんど存在しない。 また、河川水等から流入する陸由来の環境汚染物質も表層水に比べ極めて少ない。(静岡県ホームページ参照及び一部編集) |
駿河湾の最深部は2500mもあるが、そこは駿河トラフと呼ばれていて、南海トラフから続いている北の端の場所のことである。トラフ(trough)とは細長い海底盆地のことで、深さが6000mより浅いところを指し、別名では舟状海盆とも称される。その形状が細長くないものは単に海盆と呼び、海の深さが6000mを超えるものは海溝(trench)という名称である。
日本のトラフと海溝は以下のようになっている。

そして、駿河トラフは以下のような位置である。

その駿河トラフに入り込む深層水は3種類あり、そのなかの黒潮系海洋深層水を取水して活用しているとのことである。

具体的には、以下の図にあるように水深397mの場所から深層水を取水しているとのことだ。

海洋深層水の活用例としては以下のようなことが既に実行され、また今後に期待されている。

深層水ミュージアムでは深層水のことが良く理解できただけでなく、深海がトラフや海溝と密接に関係していて、深海魚のことを知る上で非常に参考になった。
次に、深層水ミュージアムを10時前に出て、道路を挟んだ目の前に位置している静岡県水産・海洋技術研究所展示室「うみしる」に行った。しかし、そこは研究所の展示室としてはあまり特化したものはなく一般的な知識レベルであり、ふ〜んという感想でそそくさと退散した。
次に向かったのは、福一漁業なんばん記念館だったが、その住所に行ってもそれらしき建物は見つからず、ぐるぐる回って諦めることにして焼津漁業資料館に向かった。だが、ここはまさに昔漁業で使った道具を展示しているだけであり、その資料館も随分古びて寂れており、この日初めて入館料300円を払ったけれど、滞在時間は一番短くて残念ながらあまり勉強にはならなかった。
伊豆半島の下田へ
待ち合わせ
2005年10月に筆者は妻とロサンゼルスに旅したことがきっかけになり、2007年のニューヨークとフロリダ州オーランドまでは旅行記としては何も記さなかったが、2009年にサンフランシスコへ行った時から、毎年11月号のFISH FOOD TIMESで「海外お魚事情」を記すようにしてきた。11月号のこのような形は今回で17回目となるが、それまで常に妻が同行してきたスタイルは2018年のシアトル・バンクーバーが最後になり、昨年までは筆者の一人旅になっていた。その理由は妻の膝関節症が悪化して、約1週間近くの海外の長旅に耐えられなくなったからであった。
海外のお魚事情は、2019年に筆者一人でタイのバンコクに行った後、コロナ禍によって行けなくなり、お魚事情の訪問先を国内へと切り替えた。妻も国内であれば大丈夫だろうということで、2020年の青森には一緒に着いてきたけれど、やはり翌年からは国内の短期旅行に関しても一緒に行くのが難しくなったということで、その後の4年間は寂しい一人旅になっていた。
一人旅というのは何かと難しいことがあり、特に温泉旅館や民宿などは最低二人を前提としているようで、宿泊希望先に一人旅だと伝えると即座に断られることが多いのだ。特に民宿は100%の確率で一人旅は拒否されると考えておくべきというのが、4年間一人旅をした結果の結論である。
ところが、今年は途中の2日目から二人旅が出来ることになった。筆者は過去に沖縄のある食品スーパーの水産部門を13年間コンサルティングしたのだが、その当時水産バイヤーを担っていた人が、今は独立して水産卸会社を経営していて、この人が2泊3日の予定で筆者に同行してくれることになったのである。
この人(以後Kさんと呼称)は確か2018年(?)に会社を辞め独立したと記憶しているが、その後もずっと途切れずに連絡を取り合って交友を続けており、年齢は筆者よりも20歳ほど若いのだが妙に馬が合い、今や欠かせない親しい友人の一人となっている。
Kさんは沖縄から羽田経由で新幹線を使い静岡駅に午後1時到着の予定だったので、先ずは昼食を一緒にしようと考えていたけれど、予定の列車に乗り遅れて2時前になるという連絡があった。そのため一緒のご飯は諦めて、前日にクックマートで購入していたリンゴの秋映1個とこれも同時に購入していたヤクルト10本パックの内の2本をレンタカーの車内で食して済ませ、Kさんがやって来るのを待つことにした。
そして2時前に新幹線改札口から出てきたKさんと昨年9月以来、約1年ぶりに顔を合わせることになった。挨拶もそこそこにして、予定をどのように変更するかを話しあった。結論としては、予定していた西伊豆町黄金崎クリスタルパークとなまこ壁通りがある松崎町に立ち寄るのは中止し、伊豆縦貫自動車道を使って伊豆半島の突端にある石廊崎に向かうことにした。
レンタカーの前でKさんは「自分が運転しましょうか?」と言ってくれたのだ。前日から随分長い距離を運転していて、運転に少し飽き飽きしてきていた筆者は、その言葉に甘えることにして、又途中で交代するつもりだった。ところが、Kさんは2日後に静岡駅で離れるまでレンタカーの運転を筆者には任せず、ずーっとKさんだけで運転してくれたのだ。
このことで筆者は思いっきり楽をさせてもらった。沖縄での仕事で車で移動する時、筆者はKさんの運転する車の助手席に座っているのが普通の姿だったので、まるで昔のことを思い出すような感覚を覚えるものがあった。Kさんはとても優しい性格だから、たぶん老齢の筆者のことを慮って張り切ってくれたのだろうと思われ、旅を終えてから感謝の気持ち一杯になったのだった。またもう一つ考えられることは、沖縄でその関係していたスーパーの水産部門の一部の皆さんから、筆者は「乱暴な運転をするスピード狂」として見られているようであり、Kさんは老齢の筆者の運転に一抹の不安を覚え、まだ一緒に死にたくないと思ったのかもしれない・・・。
石廊崎へ
こうしてKさんの運転で石廊崎へ向かうことになった。途中、休憩を兼ねて石川さゆりの歌で有名な「浄蓮の滝」に立ち寄ったが、皮肉なことに元々予定していなかったこの場所が午後唯一の観光スポットになってしまったのだ。
浄蓮の滝の瀑布を見るには、駐車場から結構長い石段を降りていき、また戻って来なければならないが、Kさんは筆者が上り下りできるのか不安がっているようだった。しかし、昨年山形県で羽黒山の2,446段もある石段や、山寺の1,070の石段などを経験している身としてはへっちゃらの部類のレベルだった。
浄蓮の滝はそこそこにして、石廊崎へ急ぐことにした。既に一般道へと入って暫く時間が経過していたけれど、なかなか到着の目安が見えず、この日の最終宿泊地である下田市を経由して、やり過ごしながら石廊崎へ向かっていった。次第に日が暮れ、小雨も降り始め、道もどんどん狭くなり、予約している宿の到着時間を逆算すると、時間的には多少不安になりながらも石廊崎へ向かっていった。
そしてやっと到着した。

しかし、目の前には下の光景が待ち構えていたのだ。

午後4時に閉門で通行止めになっていたのだ。「なんてこった」の言葉と同時に、二人で顔を見合わせ大笑いしたのだった。
予定としては石廊崎の灯台近くで夕日を激写するつもりで、ソニーのミラーレス一眼カメラだけでなく、交換レンズ3台に加えて三脚などをフル装備で持参していたのに、その計画は吹っ飛んだのだ。
雨模様だったので夕日撮影は当然無理だとしても、せめて石廊崎の突端はどんな情景なのかをこの目で確認するところまでは行きたいところだったが、それも叶わず宿泊予定のホテル下田ベイクロシオに向かった。

ホテルには何とか予定時間の6時には到着することが出来た。外観は上画像のようになかなか立派で、この建物の特徴は外側の外壁から内側の部屋内部や廊下の壁まで、すべての場所にコンクリート打ちっ放しのSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造であり、剥き出しのコンクリートがこのホテルの大きな特徴となっていたのだ。
これだけ徹底したSRC構造の建物だから、建設当時は相当高額な費用が必要だったと思われた。30年前に建設されたとされるその建物は、それだけの時間経過をほとんど感じさせなかった。しかし部屋の中に部分的に使用されている木材や合板などが、経年劣化によって傷ついたり色褪せたりしている箇所を見ると、やはり30年の月日の経過を隠せないものもあった。
ホテルに到着して直ぐ、Kさんと一緒に大浴場に向かった。大浴場も大きく清潔で眺めも良く、ここまでは言うこと無しだったが、問題は19時からの食事だった。外国のどこの出身か分からない仲居の女性が、二人分の料理を次々と運んできて、活きたアワビのステーキとキンメダイの煮付けが同時にあるのは特に問題ないとしても、鍋料理の固形燃料には早々と火をつけ、そして最後に出してほしい二人分のご飯とお味噌汁まで最初から持ってきて並べてしまおうとしたのである。
そこで筆者は、ご飯と味噌汁は後で持ってきてくれませんかと頼むと「私はこの後に直ぐ帰りますから、それは出来ません」という返答だった。これにはKさんと顔を見合わせ「失敗したな〜」と悔やんだが、もうどうしようもなく、結局ご飯とお味噌汁は最後まで手を付けずじまいだった。
Kさんは喫煙者なので、部屋でたばこを吹かしながらゆっくり酒を飲み、寛いでもらうために、禁煙者である筆者の判断で、喫煙可能な部屋で部屋食をするようにしていたのである。そのために一人24,000円というそれなりの価格のプランを選んでいたのだ。
しかし、こうなるともう諦めるしかないので気持ちを切り替え、ビールの他に日本酒の吟醸酒4合瓶を頼んで、11時過ぎまで二人で積もる話に花を咲かせたのだった。
3日目
下田漁港のキンメダイ
この日の朝は、今回の旅の大きな目的の一つとしていた、キンメダイの漁獲高で日本一を誇る下田漁港の様子を視察することである。
ホテルの朝食は8時に執ることにして、ホテルを6時に出発し下田漁港へと出かけた。魚市場らしき建物に着いてみると、魚の競り時間にはまだ早すぎたようだったので、7時まで1時間ほどは車で下田市内をウロウロして再び魚市場に戻った。

これが下田漁港の様子である。小雨がぱらつく雨模様だったが、天候はあまり関係ないような感じでキンメダイが水揚げされていた。

最初に目に付いたのがこれで、既にサイズ選別されて袋に入れられたキンメダイが計量を受けるために魚箱に移し替えられ、計量が終わると競りがおこなわれる場所に魚箱は運ばれていた。
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計量が終わった魚箱はこのように並べられ、これから競りにかけられて価格が決められることになるのだと思われた。Kさんが画像左上のメモをとって仕事をしている女性から聞き出した情報では、ここに並べられているのは「地キンメ」と呼ばれているキンメダイで、あまり遠くまで行かず近くの漁場に行って、日帰りで操業する立て縄漁(一本釣り漁)の魚だということだった。
そこから少し離れた別の場所に並べられるキンメダイは、10日ほどの期間をかけて八丈島などの沖合いまで行き、底立て延縄漁による漁獲したものだということだ。下田漁港に水揚げされるキンメダイの大半は、この漁法のものであり、これらは「沖キンメ」と呼ばれている。この辺の詳しいことはFISH FOOD TIMES 令和7年9月号No.261に記しているので参考にしてほしい。

こちらは「沖キンメ」の水揚げ状況である。

水揚げされたキンメダイはパレットに載せられ、この場所にフォークリフトで運ばれ、サイズごとの選別を受けるようである。

上の画像は初めて見る不思議な光景だった。男性二人組がペアになり、キンメダイの選別状況を見ながら、一人はビデオ撮影、一人はマイクに何事かを吹き込んでいたのだ。このビデオ内容をどこにどういう目的で報告するのか、まさか質問するわけにもいかないので今も疑問のままである。
Kさんの地獄耳によると、この日はキンメダイが5トン水揚げされる予定だと市場関係者の誰かが話していたということで、キンメダイだけで5トンとはさすがに日本一のキンメダイ産地の下田漁港だと思ったのだった。
大室山へ
ホテルの朝食を8時に予約していたので、下田魚市場を8時前に後にした。朝食を終え、今日の次の訪問地である大室山に向けて出発した。
30分ほど走ってから、道路脇に稲取漁協の看板が見えたので立ち寄ることにした。稲取漁協は地キンメの産地として有名であり、キンメダイの品質レベルとしては下田より高く評価されているということである。

漁協の売店はオープン前の時間のようで、まだ清掃途中のようだったが、地元民ではないのが明らかな我々を見て、買い物をしてくれるお客さんかもしれないと判断したようで、快く店内に入れてくれた。そこには上画像にあるPOPが掲げられていたけれど、このPOPはこの日だけ急に慌ててつけられたのではなく、たぶんインクの色合いからすると、前日もしくは前々日もつけられていたのではないかと思った。なぜなら、下田漁港ではキンメダイが5トンも水揚げされている状況をこの目で確認していたからである。漁協にも色々と都合があるのだろうからそれはそれとして、筆者は店内に品揃えされていたキンメダイ煎餅を、日頃魚の購入で色々とお世話になっている魚売場の人たちのために購入することにした。
10分か15分ほど店に滞在し、大室山に向けて出発した。そこから約1時間ほどで大室山に到着したが、雨はやむことなく続いていて、写真を撮っても以下のようにボケたような状態であり、その雄大さや美しさも感じられず、山頂に登る観光リフトも運転中止となっていた。

約4000年前の噴火によって誕生した大室山は、山全体が国の天然記念物であり、伊豆高原のシンボル的な存在となっていて、空に浮かぶ巨大なドームのようにも見えるということだが、残念ながらそういう感動も雨のために半減されてしまったというところだった。
MOA美術館へ
そういうことで、雨による影響とは無縁のはずのMOA美術館へと急ぐことにした。そこへ至る道は伊豆スカイラインであり、本来は素晴らしい景色を楽しむことが出来る有料道路なのだが・・・

ほとんどの行程が、この画像のように濃霧で5m先もよく見えず、速度を落としてゆっくり走らなければ危なくてしょうがない状態だったのだ。Kさんは「天気が良ければ、良い景色が見えるはずですけどね〜」と笑いながら慎重に運転してくれたのだった。
そうやって、大変な厄介で難しい運転をしながらも、車のナビはMOA美術館に近づいたことを表示し始めたが、今度は「なぜ、よくもまあ、こんな山の中に美術館を作ったのだ・・・」と思わざるを得ない、狭くて急峻な道が続いたのである。
そして、やっとMOA美術館の建物が見え、来館者用駐車場に車を停め、徒歩で建物に近づいて行った。すると、なんとそこには「休館日」の表示があった・・・
Kさんはそれを見て、腹を抱えて大笑いしたのだった。筆者自身はガ〜ンと頭を殴られたようにショックであり、まさに開いた口がふさがらないという状況で呆然と立ち尽くしていた。
一人で旅する時は、こういう場面で「あ〜ッ、やっちゃった。ついてないな・・・」で終わるのだが、今回は連れがいる。それも、旅程はすべて筆者が組んでいるので責任重大である。Kさんは「ちゃんと調べて計画しろよ」と言いたかったに違いないが、心が広くて寛大なので、そんなことは何も言わず大笑いしているだけだった。筆者は「旅はこういう予期しない出来事や失敗が印象深く記憶に残って良いんだよ・・・」と言い訳をしたものの、やはり心の中では悔やむ気持ちが一杯で、暫く口がきけない状態だった。
ところが、この日のハプニングはこれだけで終わらなかった・・・(このことは後で)
さて、ここでも予定が大きく狂ってしまったので、これから先の行き先をどのようにするか車内で話し合った。既に城ヶ崎海岸はスルーしていたし、この日予定していた十国峠ケーブルカーや伊豆パノラマパークのロープウェイもこの雨模様だから中止した方が良いだろうということになった。
そして、一つの空白部分が見つかった。それは、まだ神社仏閣はどこも行っていないし、今後の予定にも入っていないのだ。何か有名な神社仏閣がないかを探したところ、近くに三嶋大社があることが分かり、そこへと向かうことにした。
三嶋大社と韮山反射炉
ちょうど12時頃になっていたので、昼ご飯にしようということで山を降っていくと、そこから直ぐの距離に熱海駅があった。駅周辺で久しぶりに目にする数多くの人たちは、ほとんど観光客のようで混雑していた。駅の周辺をぐるぐる回って駐車場を備えた飲食店を探してみたけれど、仮に車を停めることが出来たとしても順番待ちなどで時間を要しそうだった。そこで熱海駅での昼食は諦めて、三嶋大社に行く途中で飲食店をみつけることにした。
1時頃になって、道路の脇に主にドライバーをメイン客層としていると思われるセルフサービスの蕎麦屋が見つかり、やっと昼食にありつけたのだが、ここでもチョットしたミスを犯した。この日は気温が下がっていたので、温かいお汁の蕎麦が適切な選択だったが、食券機のボタンでざる蕎麦の方を選択してしまって、以下の画像の蕎麦を食することになったのである。

この蕎麦屋さんの外観はいたって普通のドライブイン風情で、食券機とセルフサービスの一般食堂のようだが、蕎麦は十割の更科であり、喉越しツルツルで本物の味だったのはラッキーだった。九州ではどちらかと言えば、真っ白な更科蕎麦よりも黒っぽい玄蕎麦を使った蕎麦が主流なので、久しぶりに本格的な更科蕎麦を味わえた。九州には田舎蕎麦と称されるのがあり、これは麺が長くなく、さらに途中でちぎれて短くなることが多く、お箸で掴みにくく、うまく麺をすすれないのだ。筆者はこういう田舎蕎麦は食べにくくて苦手であり、この日食した更科蕎麦の方が好みなので、身体は温かくならなかったけれども食後の満足感は十分だった。
それから、三嶋大社に向けて車を走らせ、2時頃に到着した。

三嶋大社は鎌倉時代初期に関東総鎮守として創建され、その後4度の焼失や地震倒壊を経て、1869年に再建され今日に至っている。本殿の権現造は出雲大社と比肩されるほど大きく、その高さ23mは国内最大級のものということである。
お参りを終え、境内の授与所を覗くと、墨のようなモノトーンに染められて描かれた恵比寿様のお飾りが販売されていた。筆者はこれが気に入ったので、魚卸しの商売をしているKさんの商売繁盛を願って購入することを思い立ち、これをその場でプレゼントした。もちろん妻へのお土産も忘れず、縁起餅の福太郎を購入したのだった。
30分ほど三嶋大社に滞在し、次はどこにしようかと話し合い、もともと予定コースに入れていた世界遺産の韮山反射炉がそれほど遠くない距離にあるということで、そこへ向かうことにした。

これが反射炉の姿であり、銑鉄を溶かして優良な鉄を生産するための炉である。銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となるが、反射炉内部の溶解室の天井部分が浅いドーム形となっていて、そこに炎や熱を反射させ、銑鉄に集中させることで高温を実現する構造となっている。明治時代に大砲鋳造を目的として建設された反射炉は国内に十数基あったが、現存しているのは3基(萩反射炉・薩摩旧集成館反射炉跡・韮山反射炉)だけである。中でもこの韮山反射炉はほぼ完全な形で現存し、実際に稼働したことが確認されている点でも大変貴重だということだ。
筆者はその外観で特徴的な格子状のものは何だろうと気になっていたので近づいてみた。するとそれは赤錆た鉄のフレームであり、資料によると1957年(昭和32年)の保存工事でこれがつけられたとのことだ。
世界遺産の韮山反射炉とはどういうものかは大体理解できたが、筆者にとってそれ以上の関心はないし、Kさんも同様の感じだったので、そこであまり時間を費やすことはなかった。そして、次はどこに行こうかと話し合ってみたけれど、3時半ごろからの残された時間を考えると、めぼしい施設への移動は難しいとの結論を出し、この日の夜予約している店で美味しい魚をタップリ食べるため、早めにホテルへと急ごうということになった。
沼津の夜
予約していた沼津リバーサイドホテルへは5時前に着き、とりあえず部屋でゆっくり骨を休めた。店は7時に予約していたけれど、Kさんから店へは多少早めに行っても席はキープされているはずなので、少し早く行きましょうと提案されたので、6時半にはホテルを出ることにした。 約2ヶ月前に二人分の席予約し、予約OKのメール返信も来ていた店は「沼津お魚ダイニングhiro 沼津南口店」である。
ホテルから歩いて直ぐのはずなので、店の住所に歩いて行った。ところが、店がないのである。ウロウロと探し回ってみると、電気が消えているその店があったのだ・・・、「なに〜ッ、休みかよ・・・!」
筆者は青ざめてしまった。Kさんは又もや大笑いである。Kさんは「ネットで調べてみたら、あんまり評価が高くなかったんですよ・・・」とのことだが、まだ筆者は顔面が凍りついたままだった。このようなことになって、硬直している私を見て笑いが止まらない様子のKさんは「しょうがない、店を探しましょう」と言って、気落ちしている筆者を引きずるように、先頭に立ってどんどん動いてくれたのである。
そして飛び込みで入った店は創作料理の居酒屋のようで、まだ早い時間のために私たちが最初の客だった。そこは料理も悪くなくホッとしたけれど、美味しい魚を食べるという料理内容ではなかった。まだ口数が少なく浮かない顔を続けている筆者を慮ってか、Kさんは「次の店に行きましょう」と提案してきた。
Kさんは 又もやどんどん先頭に立って動き回ってくれたけれど、筆者が沼津でイメージしていた深海魚を食べさせてくれるような店は見つからず、結局イタリアン風の居酒屋に入ることになった。そこは若い女性客を中心に繁盛している店のようで、二人でイタリアン風の料理と赤ワインボトル1本を食したのだった。
2軒目の店になると筆者の気持ちも落ち着き、慰めの言葉で言い聞かせるように「今日は大変な一日だったけど、メインテーマの下田漁港ではキンメダイ事情の収穫があったからまあまあだったね・・・」とKさんに伝えると、「確かに、今日は色々あったけど、そうですね・・・、楽しかったです」と筆者を慰めてくれたのだった。
4日目
沼津漁港
最終日の朝はホテルを6時に出て沼津魚市場に行った。最初に見た古びた競り場らしきところはガランとしていて人気もないので、競りはもう終わってしまったのかと思ったがそうではなく、そこは旧棟で物置場のようになっており、競りなどの機能は新設された新しい建物の方へ移動していた。
| 沼津魚市場の様子 | |
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| 昔競りがおこなわれていた旧棟 | 競り場全体の様子 |
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| 競り場を二階から見学するINOの入り口 | 競りがおこなわれている光景 |
上画像のような様子はKさんも筆者も見慣れた光景であり、これらに特別新鮮な印象はなく、沼津魚市場はこうなっているのかという思いだけだった。
そして、この日一番の目当てはここだった。

この沼津深海水族館が目当ての施設である。だがオープンは9時からということで、開館するまでの間は観光客相手の店を見て時間を潰すことにした。ブラブラしていて、開き魚が店頭にズラリと並んだ店を見つけた。

販売員さんの説明によると、魚市場で水揚げされた生魚を冷凍せずに開いて、この場所で天日干しをしているということだった。

その中で筆者が興味をそそられたのは、上画像の「ユメカサゴ」だった。販売員さんの説明ではユメカサゴは深海魚の一つであり、この魚市場に水揚げされた生魚のまま開いて冷凍しないまま、こうやって天日干しをしながら販売しているということだった。前日の夜、期待を裏切られて深海魚らしき料理には行き当たらなかったので、これを買って帰ることにした。
| 沼津産ユメカサゴの開き | |
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| 保冷剤が添付された梱包状態 | 4尾の内の2尾を皮側に裏返した状態 |
上の左画像はお店で梱包し持ち帰れる形にした商品で、上右画像はそれを自宅で開封した状態だ。
| 沼津産ユメカサゴ開きの焼き魚 | |
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| 焼き上げたユメカサゴの身側 | 焼き上げたユメカサゴの皮側 |
そして、上画像はユメカサゴ開きを自宅で焼き魚に料理し食べる直前の状態である。
ユメカサゴ開きを食した上での味の感想は、深海魚らしく脂が乗っているかと思ったけれどそれほどでもなく、普通の他の白身の小魚と大きくは違わないサッパリとした味だと感じた。
Kさんもこの店で買い物をしていたが、筆者の1000円分とは違い、5000円近くは買っているようだった。買い物した商品は深海水族館から沼津港大型展望水門「びゅうお」などの施設を観光し終えるまで店で預かってもらい、沼津魚市場を出発するときに商品を引き取った。
沼津港深海水族館
深海水族館9時オープンの1番の入場者は筆者であり、2番目がKさんだった。ここは日本で一番深い駿河湾を中心に常時100種類以上の深海生物を展示してる世界で唯一の深海に特化した水族館なのである。駿河湾に生息する世界最大のタカアシガニやメキシコの深海800mに棲むダイオウグソクムシ、古代ザメのラブカや5mを超えるメガマウスザメのはく製など、様々な深海生物が展示されていた。

この水族館は展示されている深海魚や魚の剥製だけでなく、説明文も豊富で分かりやすく、単なる観光施設ではなく、深海のことがしっかり勉強できる充実した内容の水族館だった。

そして、Kさんがここで印象深く感じたのは以下の掲示物の記述内容のようだった。

筆者もこの水族館でこういう内容の掲示物を見るとはまったく予想していなかったが、ここに記されている内容にKさんは敏感に反応し「良いことを書いてありますね〜」と筆者に話しかけてきたのだった。魚卸会社を経営しているKさんだからこそ言える、真に迫るものが筆者に伝わってくるものがあった。
沼津港大型展望水門 びゅうお

沼津港に高くそびえるこの巨大な建造物は、沼津港大型展望水門「 びゅうお」という建物である。東海地震の津波対策の一環として2004年(平成16年)に完成した水門だ。津波をシャットアウトする扉体(ひたい)は、幅40m、 高さ9.3m、重量は406tと日本最大級であり、制御設備は地震計と連動し地震発生後約5分で自動的に完全閉鎖されるということだ。
入場料100円をだせば最上部まで上れるので上ったが、そこからはこのような素晴らしい景色が眺められたのだ。

この日は今年の富士山初冠雪だった。20日に飛行機の窓から見た富士山は、雲海の上にまだ冠雪していない黒い山頂をぽっこり見せていたのだ。しかし23日になったこの日は、前日までの雨模様が富士山の上部では雪になっていたようで、一晩で見事に雪化粧をしていたのだった。この光景は旅の最後の最後に、まるでご褒美のようなものを提供してくれたようだと感動したのだった。
旅の総括
今年のお魚事情旅行は「楽をさせてもらった」というのが一番である。4年間続いていた一人旅は、終日誰とも話をせず、レンタカーを一人で黙々と運転して動き回り、夜の食事も一人寂しく執るというのが少なくなく、自由で気ままなことは良いとしても、やはり孤独であることは間違いなかった。
しかし今年は「連れ」が出来て、車での移動中も会話は絶えず、夜の食事も一人ではなかったのだ。レンタカーの運転も同行者のKさんがほとんど担ってくれたので本当に楽だった。
だが、同行者のKさんの方はどうだったのだろう。旅のメインの日となるはずだった22日は、濃霧、雨、ハプニングの連続などで、沖縄からの高い飛行機代を払ったことに見合う収穫はあったのだろうか。もしかしたら、筆者との旅はもう懲り懲りだと思われているのではないだろうか。
例えば、美術館、博物館、歴史館などの施設の休館日などはもっと事前に調べておくべきではないのか、と思われているかもしれない。この点を言い訳すると、筆者の旅行パターンとしては土曜日曜を除いたウイークデイに限っているので、月火水に集中する休館日をいちいち気にして旅程を組んだのでは、自由な旅程を組むのが難しくなるのである。だから、これまではどうしても外せないところはしっかり予備調査をするものの、その他は出たとこ勝負でそこが自分に縁があるかどうかで済ませていたのである。
ところが今回のように連れがいるとなると、これまでのようにずぼらな計画では同行者に対して無責任であり、迷惑をかけると大いに反省したのである。もし来年も誰かが同行してくれるとするならば、計画レベルをより詳細にしなければならないと感じたのだった。
幸いにもKさんは寛容で心が広い人なので、今回の筆者のミスやハプニングを笑い飛ばし、許してくれたようなので嬉しい限りである。筆者としては、Kさんが今回のことに懲りず、来年も一緒に行きましょうと申し出てくれることを願うばかりである。来年はもう少しきちんと旅の計画を練りますので・・・
水産コンサルタント樋口知康が月に一度更新している
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更新日時 令和 7年 11月 1日











